VF1000Rというオートバイ


今日、25年来の友人がオートバイを持ってきた。(今一番の友人、といっても年上ですが。)

HONDA VF1000R 今から20年以上前に生産された高品質車。
なぜ高品質車なのかというと、後述しているのでここでは割愛するが、この車も以前から気になっていた車である。
発売当時の価格は逆車275万円。当時の同じクラスより100万円以上高かった。
当時を知っているものとしては、夢の夢の、また夢の車だった。(ソアラが買えた金額だからね。)
何より一番のお気に入りの点は、カムギアトレインというカムをチェーンではなく、複数の歯車で駆動する方法。
この後からは400ccクラスにもホンダは投入しているが、当時はホンダレーシングエンジンの機構そのものだった。
1960年代、ホンダが世界クランプりで優勝したとき、そのエンジンを世界のモータージャーナリストや関係者たちが「時計のように精巧な・・・」と言わしめた機構である。
ガンマは500は、乗って惚れたマシン、VF1000Rはそのメカニズムに惚れた車。こんなに良い車なのに、人気がなくてよかった?(笑)
メカ的にいちばんのお気に入りは、NR750(当時500万円今市場に出たら800万〜1000万位かな)。とても買えないし、売りにも出ていないけど、究極メカの市販車かな?
これ以外でいいなと思っている旧車は、CBX1000(CBX1100)位で、あとは外車・・・といってもハーレーじゃないよ(笑)






http://www.honda.co.jp/collection-hall/2r/308.html
これで家には1000cc以上のバイクが4台(ないメーカーはヤマハだけ)、750(全部Kawasaki)が3台。













VF1000Rとは、1984年に本田技研工業が発表し、海外へ輸出されていたオートバイである
(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)より転載)
概要
1969年に発表され、世界中のモーターサイクリストに衝撃を与えたCB750FOURから十余年、皮肉にもCBシリーズは世界中に蔓延する日本製並列4気筒の元凶となってしまった。自らが生み出したジレンマを凌駕する性能として、ホンダ技術陣は国際レース復帰の為の車両であったNR500から構想を得て、V型4気筒を新機軸車両の主旨と定めた。そして1982年にホンダは世界初となる水冷V型4気筒を搭載するVF750SセイバーとVF750Cマグナを発表。さらに1983年には、国内フラッグシップとしてVF750Fを発表。一気にV4での構成を目論んだ。

そのような状況の中、VF750Fと平行して開発されていた車両であるRS1000RWをモチーフとしたロード・ゴーイング・レーサーをコンセプトに、1981年から販売が開始されていたCB1100Rを後継する新世代のホンダのスーパースポーツとして、1984年のパリショーにて公式発表後に市販化されたモデルがVF1000Rである。しかしCB1100Rがレース参戦を主な目的として開発され、多くのレースで戦績を上げたのに対し、VF1000Rが戦績を飾る事は少なかった。それというのも、1984年からTT-F1の排気量上限がそれまでの1000cc以下から750cc以下へと変更されたため、メジャーなレースへの参加資格を失ってしまったからである。

当初はCB1100Rと同様に欧州のみでの販売であったが、1985年からは北米市場でも販売を開始。フレディー・スペンサーなどのアメリカ・ホンダの契約ライダー達により、AMAレースでは常勝を記録していたVF750F/インターセプターシリーズの最上級モデルとして君臨したが、新車価格はゆうに$20,000を超え、そのあまりの高額さゆえに、販売は必ずしも成功とは言えなかった。またこの当時日本車に対する関税引き上げや輸入車に対する規制がが実施され、製造コストが跳ね上がった事も、VF1000Rを短命に終わらせた要因の一つとなった。欧州でも高額なプライスタグゆえにCB1100Rと比較され、戦績を残せていないVF1000Rは、営業的にも不利な立場を強いられた。そして1986年の最終型をもって、180度クランクの新型V4エンジンにバトンを渡す形で生産を終了した。

しかしVF1000Rが残した布石は大きく、カムギアトレインは高性能車の代名詞となり、360度クランクで蓄積されたデータは、その後世界市場を圧巻とさせるVFR750R通称RC30に受け継がれた。またVFRから発展したRVF軍団は、常勝だったRCB軍団に勝る結果を残し、ホンダ技術陣がV4を選択した事は、決して間違っていなかった事の証となった。VF1000Rは、その思想が10年早過ぎた為に、多くに理解されないまま幕を引いた車両である。

VF1000Rの特徴として、形式の多さが上げられる。基本的にはVF1000RE(84年型)・ VF1000RF(85年型)・VF1000RG(86年型)に分割される1型〜3型なのだが、各輸出国別の規制に合わせ、細かい設定変更が施された。ほとんどの欧州で用いられ、VF1000Rの特徴であったデュアルライトは、北米仕様では対日輸入車規制により、SAE規格の角型単眼ライトへの変更が義務づけられた。また排気ガス規制の厳しかったアメリカ・カリフォルニア州では、排気系にキャタライザーの装着が施された。欧州では更にエポックな存在として、84年型REフランス仕様をベースに、給排気系を見直し130PSを発生するHFR(ホンダ・フランス・レーシング)仕様(外観上の違いは、カウルの赤色部分に、白色のグラデ−ションとHFRのデカ−ルが貼られている)が台数限定で製作されたり、86年型RGでは、85年よりホンダレーシングチームのメインスポンサーになったロスマンズ社のカラーリングを用いた、通称ロスマンズカラーモデルなどが存在する。こうしたエポックマシンは、中古車市場では比較的安価なVF1000Rの中でも、絶対的な品数の少なさから現在でも高額で取引されている。

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カニズム
搭載されるエンジンは総排気量998ccの水冷90度V型4気筒DOHCトランスミッションはリターン式5速を採用していた。また市販二輪車としては世界初の装備であるカムギアトレイン(カムシャフトをチェーンではなく歯車で駆動する機構)、ラジアルタイヤ(リアのみ)等の他、NSタイプ・コムスターホイール(前16インチ/後17インチ)、クイックリリース機構・TRAC式アンチノーズダイブ機能を備えたフロントフォーク、バックトルクリミッター、可変式ジュラルミン製鍛造ハンドル、FRP製上下カウル等の豪華な装備をまとい、生産終了となるまで同社のフラッグシップモデルとして君臨した。